アーティストと距離が近くなったなーと思う。
最近twitterきっかけでCornershopという大学生のときから夢中になっているイギリスのバンドとお互いの曲のRemixを作り合った。
きっかけというのは僕が彼らのnewLPをタイムラインで推したから。僕もちょっとだけ貢献できたらしい。それがきっかけ。
すげー時代だなー、とメールやremixをやり取りするたびと思う。
間に誰も入れず、ネットの無料翻訳等を駆使して自分で英語でやり取りしてる。向こうはマネージャーとTjinderさん本人。
マスタリングもどこでする?とか細かく打ち合わせしたり。
これは夏くらいに世界でリリースできるかな、と。本題はそれじゃなくて。
今書いたようにアーティストとの距離はすごく近くなった。世界が縮まってしまったようだ。
僕はそれに対してとても肯定的。
一億年レコードリリースの際の所信表明にも「確かにこの世からスーパースターはいなくなったかもしれないけど、大事な物はこれからどんどん増えてく気がする」と書いた。
もちろん、スーパースターの良い所があるっていうのもわかる。生活感のないマイケルみたいなスターじゃなきゃ駄目な事だってあるだろう。マイケルには100円マック食って欲しくない気持ちもわかる。そう思う人たちの意見を否定する気なんてさらさらない。
ただ、僕のちょっとした思い出話。
僕は子供の頃からビートルズファンで、そのずっと前から彼らはスーパースターだった。全く音楽が好きじゃない僕の両親が彼らをよく知っているのが良い証拠。
彼らは遠くにいる伝説の存在で(ジョンはそのときもうこの世にいなかったけど)会う事なんて絶対ないだろう、と思って暮らしてた。茨城の小さな街で。
それから僕は、本やビデオをたくさん買った。レコーディングに関するもの、ツアーのオフショットがのっているもの、公式映画、ブートライブ版、楽譜、お小遣い全部つぎ込んだ。読んだり見たりして改めて彼らの音楽を聴いていく内に、それらに意外と知りたい事が書いてない事に気づいた。
例えば、この写真の頃ジョンはどういう家に住んでたんだろう。晩飯は何食って値段いくらだったんだろう。ポールとふざける時の定番ネタはなんだったんだろう。仲間内で飲んだ時話す大失態談ってなんだろう。ヨーコとジョンはスタジオで実際具体的にどんな痛い話しちゃったんだろう。
そういう地味な話題より、スーツを着込んだスターらしい話しか載ってなかった。まあ、大体同じ話題が続く。それはそれで12歳の僕を興奮させるには十分だったけど(キリスト発言やMBE勲章返却やドラッグ…etc)そんな時の彼らのリアルで人間臭い気持ちはどこにあったんだろう、と音楽を聴いてるうちに思うようになっていった。
そう思ったのは、音楽には生な彼らがいる気がしたからだ。
タンバリンが入って来る前に録音されてしまったわずかな吐息や歌詞を間違えながらも強引に世に出されたコーラスライン。ちょっとした笑い声。ストロベリフィールズフォーエバーの思い出。
「ああ、人間がやってんだ。」
ってすごく感じた。
話を戻すと、そんな1人間であるアーティストを、彼らは同じ人間なんだ!と意識して思い出さなくても、素直に近くに存在を感じられる時代が僕はすごく嬉しい。
聞きたい事あったら聞けばいいや、生きてりゃいつか会えんだろ、くらいの感覚を持てる。
結局なお謎な部分は永遠に残るだろうし。実際に会ってそんな話をできるハードルは相変わらず高いし。
それは決して割れないジェリコの壁。
あと嬉しいのは、作品に対してはよりリスペクトできるようになった事。音楽がもっと好きになった事。逆に好きだった音楽が嫌いになる事はあまりない。音楽は音と言葉だけだから。
アジカンの後藤さんの覚悟のtweetを読んでから聴く彼の音楽は前よりもっと凛として響く。もちろんそんな事、聴く人みんながしなくてもいい。本人もそう思ってると思うし。
でも、その選択肢があるだけで嬉しいじゃないですか。
それが雑誌やテレビじゃなくて、本人から届くって嬉しいじゃないですか。
そんなこんなで、俺はポールマッカートニーとどういう曲を共作しようか考えている次第です。